ブゾーニが自説を開陳したときは、夢物語と一蹴
1900年代にブゾーニが自説を開陳したときは、夢物語と一蹴することもできたが、第一次世界大戦後になると、以前の風潮や時代の趣味への嫌悪感や、物質的な理由も手伝って、現実味のあるものとなった。有力な演奏家が徴兵され、ある者は落命し、ある者は障害者として戻ってきたため、以前のような演奏者数が確保できなかった。また、ワイマール共和国やオーストリア共和国では、物価の異常な高騰によって、大オーケストラのために新作を書いても、特例がない限り上演が困難であったという事情もあった。さらに、フランスを経由してジャズがヨーロッパを席巻した。このような状況が音楽の変化を促した。
ストラヴィンスキーとその影響 [編集]
このような状況で、新古典主義音楽の理念を「新音楽」として提示することに成功したのが、イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽《プルチネッラ》であった。この作品が新古典主義音楽のあり方として示したのは、小編成のオーケストラによる透明なテクスチュアや、全音階による明朗な旋律に限らない。作者不詳の(ペルゴレージ作曲と伝えられる)18世紀ナポリ楽派の舞曲を用い、これに随所で非機能的な和声をつけるなどの改変を加えている。つまり、ウィーンの古典派音楽ではなく、バロックのイタリア音楽に、理想的な「古典美」の基準を見出しているのである。
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このようなネオ・バロック様式は、ストラヴィンスキーのその後の作品(たとえば《ミューズを率いるアポロン》)だけに留まらず、さらに広い反響を呼んだ。コンチェルト・グロッソを連想させる「管弦楽のための協奏曲」という新ジャンルの開拓や、ヴィヴァルディやバッハの器楽曲に典型的に見出される「紡ぎ出し動機」の利用などである。ショスタコーヴィチの《交響曲 第1番》は、ピアノが入っているものの楽器編成が薄く、その限りにおいて古典的である。またこの作曲家の《ピアノ協奏曲 第1番》は、対照的な独奏楽器群と弦楽オーケストラのために作曲されていて、楽器編成が必然的にバロック音楽を連想させる。ヒンデミットの一連の《室内音楽》は、古風な組曲の現代版とも、またコンチェルト・グロッソの現代版とも理解することが可能である。またパウル・ヒンデミットとバルトークは、無伴奏の独奏弦楽器のためのソナタを作曲することによって、明らかにバッハへの回帰を示している。
フランスにおけるストラヴィンスキーの代弁者は、名教師ナディア・ブーランジェであった。しかしながらブーランジェの直系の弟子のうちで、国際的に成功したフランス人作曲家はジャン・フランセぐらいであり、多くはアーロン・コープランドやエリオット・カーターに代表されるアメリカ人作曲家であった。おおらかな叙情性と古典的な明晰さを保ちながらも、過度の情感に流されず、和声法や調性感がモダンであるという新古典主義時代のストラヴィンスキーの作風は、こうしてブーランジェとその門弟を通じて、アメリカ合衆国で支配的になっていった。いっぽう、半音階的な和声法が結びついた、より晦渋な響きの新古典主義音楽は、エルネスト・ブロッホとその門弟のアメリカ人作曲家によって創作された。